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2006年6月30日 (金)

墓誌めぐりでクラクラ

Photo_11  散歩の途中、「墓誌めぐり」という遊びをやることがある。
 これには家族も誰も付き合ってくれないし、またひとりでしみじみやるのが相応しい。

 墓地を歩くと、立派な墓誌を新たに建立し直したお墓が多いのに気づく。
 戒名、亡くなった年月日、名前、享年が刻まれている。それをひとつひとつ見て回る。

 「八十七歳」「八十四歳」「九十一歳」などと並んでいるのを見ると、ははあ、なかなか長命の家系だな、と思う。

 しかしもちろん長生きの人ばかりではない。昔は、特に戦中・戦前などは平均寿命もはるかに短かったはずで、若者も子どももよく死んだ。
 「二十歳」「十六歳」「十二歳」「七歳」なんて人もたくさんいる。「二十五歳」「三十二歳」だって死ぬには若すぎる。痛ましい。それぞれの亡くなった事情は分からないが。

 親は泣いただろうな。どんな子だったんだろうか。

  「一歳」「三歳」などは「童子」「童女」という戒名だ。生まれたばかりですぐ死んだ子、生きて生まれなかった水子の名前が刻んであることもある。
 親は泣いただろうな、と重ねて思うが、その親もとっくにこの世の人ではない。

 夥しい数の死者。夥しい数の名前。夥しい数の、それぞれの人生。

 だんだんと頭がクラクラしてくる。
 50歳を超えた自分が、いまここにこうして生きているのが奇跡のように思えて、いよいよクラクラし、足元はフラフラする。うーむ、とただ唸るしかない。

 「墓誌めぐり」とはこんな遊びです。

 ここまで書いていて、このクラクラ感は別の場所でも味わったことを思い出した。しかももっとスケールのでかいクラクラ感だ。

Photo_12  上野の国立博物館の東洋館にミイラが展示してある。
 紀元前十世紀だか十何世紀だかの人間の遺体だ。

 この遺体とじっと見つめ合う。向こうはもちろん目は見えないが。

 この人が生きていた時代から、この現代の日本の上野で、なにかの縁があって自分とめぐり会うまでの何千年のあいだに、いったい世界では何百億人、何千億人の人が生まれ、生きて、死んでいったのであろうか。
 夥しい数の、それぞれの人生。運命。苦しみ。悲しみ。あるいは喜び。

 うーむ、クラクラする。人類史的なクラクラ感だ。

 どうです、あなたもクラクラしてみませんか?
 まずはお近くの墓地まで。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは!そして初めまして!でもないのですが・・・
私、管理人さんがとても、いい方である事を知っているものです(^^ゞ

『墓誌めぐり』。。。なんとなく解ります。ウチも代々本家できたので沢山の戒名があります。ただよそ様のお墓に興味が入っても、なかなか墓誌にまで目は、行きませんでした。楽しそうですね!

あのぅ・・男の方が一人で墓地にずっといると怪しまれませんか?。。。

投稿: 桜子 | 2006年7月 3日 (月) 21時54分

墓誌めぐり

全く同じことを今日やってました。

過ぎ去った誰かの人生。

縁もゆかりもない誰か。

でも、墓誌は読む人に訴えるものがあります。

この人は確かに生きていたんだと。

生きるってなんなんでしょうね。

ついつい、生の対極に死があるように思いがちですが。

お彼岸のまどろみはとりとめもなく消えて行きます。

残るのは石に刻まれた文字のみ。

投稿: けんすけ | 2011年9月23日 (金) 23時08分

いや、また。
こんな古い記事にコメントいただきまして、まことにありがとうございます。

桐生SNS「ほぼ失業カラサワ」のブログも、よろしかったらご覧ください。
happy01

投稿: ほぼ失業カラサワ | 2011年9月24日 (土) 09時56分

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