砂の器
原作は松本清張。
脚本は橋本忍と山田洋次。
監督は野村芳太郎。
巨匠・名匠が手がけ、興行的にも大ヒットを収めたというから、観た人も多いに違いない。
邦画ファンならばご存じ
1974年制作の松竹映画
「砂の器」
もう30年以上前に作られたミステリー、というかサスペンス映画の大作である。
まさかもう劇場のスクリーンで観ることは叶わないと思っていたが。
この2007年の2月に上映していたのである。
それも、いつも行くイオンシネマ太田で。
過去の名作を選りすぐって上映するという「イオン名作座」。
上映期間は2月24日から3月4日まで。
封切りのとき、ワタシは大学生になったばかりだった。
上野駅公園口の上野松竹で一人で観て、とにかくびっくりした。
日本映画で、こんなにおもしろいミステリーもの、サスペンスものがあるのかと。
犯罪。捜査。謎解き。
その背景にある過去の因縁。
こうしたジャンルでは、黒澤明の「天国と地獄」(1963年、東宝)を子どもの時に観て以来の衝撃であった。
一人の老人が殺害された蒲田操車場殺人事件。
捜査の主力は警視庁捜査一課のベテラン今西栄太郎(丹波哲郎)と、所轄である西蒲田署の若い刑事・吉村正(森田健作)。
被害者の身元は不明。
※被害者はやがて、岡山の雑貨商であり、昔は島根県で巡査をしていた三木謙一(緒形拳)であることが分かるのだが…
難事件だった。
「東北弁のカメダ」という言葉だけが頼りだ。
二人の刑事は、特に今西は秋田、島根、石川、大阪、伊勢と、謎を追って日本を駆けめぐる。
そして、事件の影に若き天才音楽家・和賀英良(加藤剛)の姿を見るのだった。
ストーリーの説明なんかしていては、とても書ききれない。
そういうわけで。
初めて上野松竹で観たあとも、別の映画館で2、3回は観た。
ビデオでも観た。
原作の小説も読み、ストーリーがかなり違うことも分かった。
映画のほうは、特に後半、橋本忍と山田洋次によって大きく改変・潤色されている。
それが成功したわけだが。
それで。
今月たまたま、みどり市立大間々図書館でビデオをまた借りて、観たばかりだったのである。
その直後、イオンシネマ太田で上映していると知り、たまらず観に行ったというわけ。
ストーリーも、シーン展開も、台詞も分かっている。
それを劇場の大スクリーンで観たかったのである。
かつて、映画フィルムが古くなって傷むと、「雨が降っている」といわれる、ひどい映像になったものだった。
しかし最近は、デジタルリマスターという技術で、きれいに甦っているのだ。
「砂の器」もデジタルリマスター版で甦った。
スクリーンで観ても、傷はほとんど感じられない。
色もいい。
やっぱり映画は
映画館で観なくちゃ、ダメだなあ。
実感。
ワタシの特に好きなシーン。
まず、蒲田操車場での遺体発見。
ドキュメンタリーのニュース映像のようで、怖かった。
ホントに人殺しがあり、惨い死体が見つかったんだな、という迫真性があった。
(テレビの2時間ドラマの遺体発見なんか、あんまり軽くて)
迫真の映像に字幕が重なり、いよいよリアルな感じ。
字幕をかぶせるのが効果的でしたね。全編にわたり。
「東北弁のカメダ」の意味。
今西が考えをめぐらし、国立国語研究所を訪ねる。
果たして、東北弁に聞こえるズーズー弁が、島根県の出雲地方でも使われていることが判明するシーン。
いい。
これはねえ。なんと、原作の小説にも、説明のための日本地図を載せたページがあるのです。
和賀英良の逮捕状を請求するクライマックスの捜査会議。
今西の報告に捜査一課長が驚く。
「なに!? 本浦千代吉が生きている!?」
いいねえ。
きりがないですねえ。
で。
名作とひと口にいわれてしまう「砂の器」だけれど、ストーリー上の無理や矛盾、腑に落ちない点などが、多くの映画関係者やファンに指摘されている。
ツッコミどころも多いのである。
この作品のアラも、また書いてみたい。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (3)
最近のコメント