2007年4月27日 (金)

シエラレオネ共和国

Photo_78 いやあ。
 なかなか更新できないのでね。
 身の回りの出来事を散発的に、思いつきで記しておくことにする。

 映画「ブラッド・ダイヤモンド」を観た。

 「血まみれのダイヤ」である。

 1990年代後半のアフリカ・シエラレオネでの激しい内戦を描いた社会派アクション―ということなのだが、とにかく悲惨。
 ルワンダ内紛による大虐殺を描いた「ホテル・ルワンダ」をすぐさま連想した。
 ルワンダは「仕組まれた」民族対立。
 そういえば「ホテル・ルワンダ」はちょうど1年前、去年の4月に観たのだった。

 「ブラッド・ダイヤモンド」は、先進国で消費されるダイヤモンドの不正取引をめぐって起きる、自国民同士の殺し合い。

 アフリカが欧米の食い物にされている、あるいはされてきたことがよく分かる。

 実在のシエラレオネ共和国について、まったく知らなかった。

 世界で最も平均寿命が短い国、だそうである。

 自分の無知がよく分かった。


 以下は日本政府・外務省のホームページからの引用。

 シエラレオネでは、1991年に反政府軍(RUF)が蜂起し、同国で産出されるダイヤモンドを財源に、反政府戦闘行為が断続的に継続。
 1996年3月、大統領選挙を経てカバ大統領が就任したが、1997年5月、政府軍下級兵士による軍事クーデターによりカバ大統領はギニアへ脱出。
 1998年にECOWAS監視団(ECOMOG)によってクーデター派が駆逐され、カバ大統領の合法政権が復帰した。

 1999年10月、国連安保理は、政府勢力と反政府勢力の間の和平合意を実施するための「UNAMSIL(国連シエラレオネミッション)」の派遣を決定し、DDR計画(元兵士の武装・動員解除、及び社会復帰)が展開された。
 以後、2000年5月にRUFによる国連PKO要員拉致事件が続き、再び緊張が高まったが、ECOWAS諸国の仲介により、2000年11月のシエラレオネ政府とRUFとの間での停戦合意、更に、2001年5月の両者間の武装解除の実施方法についての合意がなされる等、状況は平静化した。
 2002年1月18日、カバ大統領は、DDR計画の進捗状況に鑑み、シエラレオネにおける武装解除の完了宣言を行い、また、右に続き、同年3月1日には国家非常事態の終了宣言がなされる等、和平に向けての進捗が見られた。

 2002年5月、大統領・国会議員選挙が自由・公正かつ平和裡に実施され、現職のカバ候補が再選された。
 選挙は約10年以上に亘るシエラレオネの内戦に終止符を打ち、同国における永続的な平和の構築及び民主主義への移行を実現する上で、象徴的な意義を有するものであるとして、我が国を含む国際社会からも注目された。

 国内情勢は、最大時で17,000名の要員で展開したUNAMSILによる治安維持及び軍・警察の機能強化により安定が保たれ2004年9月に全ての州における第一義的な治安維持の責任をシエラレオネ警察に返還するプロセスを完了。
 UNAMSILは2004年末までに要員数を5,000人までに削減、2005年12月末日に完全撤退した。
 UNAMSILの活動は1)統治体制の確立、2)DDR、3)治安回復及び軍・警察の体制確立、4)ダイヤモンド採掘・売買のコントロール、5)グッド・ガバナンス構築を柱とするものであったが、それぞれの任務について大きな成果が見られアフリカPKOにおけるグッド・プラクティスとして国際社会からの称賛を得た。

 2006年1月より平和維持プロセスに移行すべく国連シエラレオネ統合事務所が活動を開始。
 依然として汚職、高い失業率、絶対的貧困、不平等な資源配分など社会経済的な不安要因は未だ解決されておらず、これらの問題に対する政府の対応が必要とされている。

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